私がPLAYZONEの存在を確実に知ったのは'88年の“カプリッチョ”。
'87年の“TIME 19”の時は、存在自体は知っていたけど
意味が分からなかったんですよね、実は。
『19』て映画をやっていたでしょ。
アレと同じモノだと思っていたんですよね~。
映画でやったのを今度は舞台でもやるのか?とか思っていました。
“TIME 19”の時はまだ青山劇場Onlyだったし、
ま、まだ子供だった私にとっては無縁だったんですよね。
ちなみに『19』はビデオで見ました。
友達のお家でレンタル借りて見たんだけど、
かっちゃんのキスシーンがイヤでイヤでたまらなくて
必死で目をそらしていたのに、友達に巻き戻されて泣いた記憶が

で、翌年の“カプリッチョ”から大阪でも上演されるコトになったんですよね。
サントラ・・・と言うか、当時はもっと
アルバム感強かった気するけど
発売前に当時やってたラジオ『抱きしめて少年隊』で
LPに入ってる3人の写真の話をしていてね~。
LPサイズで3人別々の写真が入ってたのよね

その時の衣装、かっちゃんだけが丸襟だって
ボヤいてたっけ⊂((〃 ̄ー ̄〃))⊃ ふふふ
LPサイズのかっちゃんの写真が欲しくて、LP買おうとしたけど
当時うちにあったレコードプレーヤー、あまりいい物じゃなかったから
買ってももったいないって母に反対されてねぇ。
泣く泣くカセットテープにしたのを覚えています

けど、カセットテープにも写真付いてたんですよね。
LPにしかついていないものだと思い込んでいてね。
カセットテープサイズの小さい物だったけど
それでも嬉しくて大喜びしたわぁヾ(〃^∇^)ノ♪
実はこの写真には後日談があってね。
この写真を近所の写真屋さんに持って行ってコピーしてもらって
テレカ(テレホンカード。今でも存在するんだろーか・・・)作ったんです♪
随分長い間持ってたんだけど、結局使っちゃったなぁ。
今考えれば、とっとけば良かったかなぁとか思ったり・・・・・。
すっかり話それちゃいましたが、“カプリッチョ”。
大阪で公演されると知っても行けるワケもなく、当然のように諦めていたんだけど
当時のクラスメートが夏休みに行くって言うんですよっ!!!
うらやましくって仕方なくてね。
その時初めてPLAYZONEを身近に感じた気がしました。
しかもたまたま彼女のお母さんとうちの母が知り合いでね。
彼女はお母さんと一緒に行く予定だったんだけど
うちの母にお母さんの分のチケットを私に譲ってくれると言ってくれたんですよ。
けどうちの母はそそくさとお断りしてくれました(_ _。)・・・
一瞬にして夢破れたり・・・てなカンジです

そんなコトがあったり、当時のヲタ誌に舞台前からの様子が掲載されているのを見たり
歌番組(Mステだったかなぁ??)で中継されてるのを見たりで
私の中に一気にPLAYZONEが入ってきた年でした。
ちなみに“カプリッチョ”はこの何年か後に中古ビデオ

を見付けて購入。
夢にまで見た“カプリッチョ”。
生で、この目で見たかった作品のひとつです

'89年の“Again”は、前年

のコトがあったので最初から諦めてました。
それに、この頃はSMAPと天秤状態だったので(どっちかって言うとSMAP寄り?)
“カプリッチョ”ほど行きたい!!ってキモチなかったかも

そして×2 '90年、“MASK”から私のPLAYZONE生活がスタートするコトになったんです~。
と言っても、実は当初行く予定はなかったんですね。
“カプリッチョ”以来、私の中でPLAYZONEは「行けないもの」になっていたんです。
まぁFCにも入っていなかったしね。
で、当初夏休みに東京の親戚の家に遊びに行く話が持ち上がったんだけど
母がフとPLAYZONEの存在を思い出してね。
今考えれば何でそんなの思い出したのか不思議なんだけど。
大阪に、PLAYZONE見に行くのと、東京行くのとどっちがいい?って。
今考えればPLAYZONE見に青山劇場に行けば良かったって思うけど
その頃はそんなコト思いもしなくって、大阪PLAYZONE行きを選びました。
チケットはプレイガイドで購入して。。。
私にとって、人生初のPLAYZONE・・・と言うより、人生初の生少年隊。
1階席ではあったものの、かなり後方の座席。
それでも3人がスゴくカッコ良くて、輝いていて。
たった1度きりの観劇だったけど、完全に引き込まれて、虜になってしまいました。
ビデオ

の発売を指折り数えて待っていたし、
来年も又絶対行きたい!!って思いました。
そうそう、かっちゃん「♪スーパースター」の時
スリッパ飛ばしちゃったのよね⊂((〃 ̄ー ̄〃))⊃ ふふふ
私その瞬間見てなくてねぇ(゜゜;)
(どこ見てたんだか、全く覚えてないんだけど・・・・・(´;ェ;`))
会場が笑いの渦になってあわててかっちゃん見たら
片方のスリッパなくなってて、かっちゃんの行く先の方に落ちてるの。
ようやくスリッパの所まで辿り着いて慌てて履くかっちゃんの姿、
今でも忘れられません=^-^=♪
そー言えば、♪スーパースターの後のかっちゃん、
「もっと踊りたいよぉ!!!」って叫んだところで暗転するでしょ。
ニッキがラジオ『スーパーギャング』で「だったらそこで踊ればいいのに」って
チャチャ入れてたっけ( ̄皿 ̄)
『抱きしめて少年隊』終わって、唯一聞けたのが『スーパーギャング』で、
「かっちゃんのが聞きたい~

」ってずっと思ってたけど
今考えればあの頃はずっとずっと良かったなぁ。。。
ちなみに“MASK”は母と一緒に行ったんですが、母も来年も行きたいと言い、
翌年、'91年“SHOCK”も母と行きました。
けど、母は“SHOCK”を最後に行かなくなりましたけどね。
“MASK”は良かったけど、“SHOCK”見てつまらなかったからもういいって。
私自身は“SHOCK”って作品キライじゃなかったけど、
かっちゃんファンとして、ビミョーな心理でしたよねぇ。
かっちゃん蔑ろにされて、いくらお芝居とは言え、あまりいい気はしない(-ω-;)
けどそこは生の舞台。
最初の方に出てくる車がスーツケースに変わった後
タイヤ部分をニッキがどこかの国の帽子みたいだって言い出して
それがツボにハマったらしく、しばらくずっとやってたのが
今でも忘れられないなぁ(^ー^* )フフ♪
'92年の“さらばDiary”は当時の友人と。
けど結局彼女と行ったのははこれが最初で最後になりました。
行かなくなったのは内容のせいじゃない?って思ったり。。。
結局私が誰かと一緒に行ったのはここまで。
今のダンナと一緒に行くようになるまで6年間、毎年ひとりで行くことに・・・。
その間FCも一度やめちゃってるし。
SMAPだったり井ノ原くんだったりに浮気して、
「とりあえず行ってる」状態が続いたなぁ。
その辺の話は又改めてとして、長くなってしまったので一旦終わります。
おつきあい頂き、ありがとうございましたm(_ _)m
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